自殺日記

双極性障害 自殺するまで書きます

理系に進んだこと

数学ガールを久しぶりに読んでいます。

数学ガールとは、数学を学ぶ高校生たちの学園生活を中心に物語を展開し、その中で数学の入門的知識をわかりやすく説明・証明してくれている本です。数学版ライトノベルという表現がしっくり来る。

 

 

中学生の頃は数学がとても好きで、一番得意でした。

そのまま当たり前のように理系に進んで、大学では数学でなく化学の道へ。

留年を重ねて、正直自分は理系に向いてなかったんじゃないかと思いました。理系に進まなければよかったと思いました。

でも純粋に自分の興味のある分野の知識に触れるとやはり楽しい。理系に進んでよかったと思います。

 

わたしはおそらく、この世界の目に見えないものが好きなんだと思います。極論ですが、この世界に『本当に存在している』と言えるのは、自分の目に映る範囲のものだけだと思っています。(目に映るものが事実なのかどうかはまた別の話になりますが。)

数字も原子も、目には見えない。神様が作った手帳の一部を、わたしたち人間は地道に書き写しているように思えますが、そんな手帳本当は存在しない。

この世界で初めからわたしたちが持っていた道具を使って、それを矛盾がないように慎重に慎重に利用して、目に映らない世界のことを理解したつもりでいる。言ってしまえば想像の域の話だと思うんです。

でも確実に存在している。矛盾がないようにわたしたちが作ったのだから当たり前だけど、それで見えない世界を慈しむことができる。

 

人の心と似ていると思うんです。

 

わたしたちには、人の心は見えない。そこに存在しているのに、手に取ることはできない。

でも持っている道具を使って、想像して、予測して、わかったつもりになることはできる。

そういう形で触れることはできる。

それってなんだかとてもロマンチックなことだと思うんです。目に見えないから、形としては触れられないから魅了されて、追い求めて、真実を知りたいと思う。

 

数字も、原子も、人の心も、みんな似てると思います。

だから好きです。理系に進んでよかった。

 

 

 

結婚したくない側の話

『好き』なだけで恋ができていた頃が懐かしく羨ましいです。

 

個人的な問題なのかもしれませんが、大人になってから『好き』なだけでは身動きが取れないと感じることが増えました。

そう感じるようになったから大人になったのかもしれないし。

10代の頃、いや20代の前半くらいまでは、ただ好きなだけで充分でした。

好きだと思ったら行動すれば良いし、伝えれば良いし、遠い未来のことなど考えずに恋をしていました。

 

大人になって、"結婚"の二文字が目の前に現れてから、恋の仕方がわからなくなりました。

 

わたし自身は結婚願望がありません。幼い頃から一貫しています。

誰かと歳を取りたいとか、一緒に暮らしたいとか、そういうことは考えられないです。

一人でもいいから、自由に生きられたらいいな、なんでこの歳でも本気で考えている。

でも当たり前にこの感性はマイノリティなんですよね。

大半の人は、結婚を考えていると思います。少なくともわたしの周りは。

友達とか、親や相手の家族や、もちろん恋人自身も。

結婚したくないのに、この歳まで恋人と過ごして、これから先どうするつもりなのか。

本当にもう心を決めなければならない時期になったんだなと思います。タイムリミットが来たんです。結婚する気がないなら、いつまでも縛っていてはダメなんですよね。

 

 

そして虚しいのは、この先また誰か別の人を好きになったときにも、同じことで躓いて同じことで悩むんだろうということです。

結婚する気がないのだから、好きになったってしょうがない。

この問題ばかりは、本人たちが良いんだからとかじゃないと思っています。

相手のご両親の価値観があるからです。

 

 

最近ずっとそればかりを考えています。

好きになったってしょうがない。

もうタイムリミットが来てしまった。

 

『好き』だけで恋をしていた頃に戻れたらどんなに幸せなことか。

 

 

 

ギターと音楽と自分とのこと

今日は雨でしたね。

考え事をしてしまっていて何一つ手につかなかったので、1日ギターを弾いていました。

 

ギターをこんなに一生懸命、夢中で弾いたのは久しぶりです。

本当に久しぶりです。

たぶん去年の夏にライブに出たとき以来です。

 

久しぶりに弾くと手も鈍ってるし、まず指の皮が出来上がってないので痛すぎるしで全然弾けません。手が言うことを聞かない。

でもすごく楽かったです。本当に。久しぶりに何かに夢中になった。

ギターも音楽も、嫌いだ嫌いだと言っていても結局好きなんでしょうね。

 

冬の間、この世のすべて何一つ楽しくなかったので、もちろんギターも楽しくなかったです。

売っ払おうかと思ってたくらいです。大体毎年冬はそう思ってます。

でもギターだけは冬季鬱関係なくこう思うことが頻繁にありますね。

 

ギターも音楽も本当は好きです。

軽音サークルの現役時代や、引退してからしばらくも

とにかく打ち込みました。のめり込みました。

ここまで何かに打ち込んだことは正直他にないんじゃないかと思います。

とにかくそのくらい一生懸命やりました。やり甲斐があった。生き甲斐だった。

 

でも楽しいことだけではありませんでした。

楽しい反面、自分の理想とするイメージとのギャップ

追いつけない実力不足

泣きじゃくりながら練習してました。

ライブが終わるたびにもう二度とやりたくないと思ってました。

またダメだった、今回もまだ足りない。

最後までそう思いながら引退しました。

正直つらかった。

 

そして、そう思っている自分のこともつらかった。

音楽って、『音を楽しむ』って書きますよね。

楽しいものなんですよ。本当は。

わたしは楽しくなかったときのほうがずっと多かった。

楽しい瞬間は確かにあるけど、それ以上につらいと思う時のほうが多かった。

 

周りの、上手で、魅力的な演奏で、それでいて楽しそうな友人たちが本当に羨ましかった。

羨ましくてしょうがなかった。

音楽のほうからも想いを返してもらえる人たちはああ言う人たちなんだろうと思ってました。

わたしはずっと片思いだった。

 

もっと肩の力を抜いて楽しめばよかったんだろうけど

それじゃ満足のいくステージを作れないと思ってた。

死ぬ気で練習して、死ぬ気で歌って、死ぬ気でステージを作らなきゃみんなに追いつけないと思ってました。

 

 

対話が足りなかったのかもしれないですね。

音楽との。

もっと話せばよかった。好きなところや楽しいところをもっと見るべきだった。

音楽と両思いに見える人たちも、きっと裏ではそう言う対話の時間があったりして、だから思いが通じてたのかなと今では思います。

独りよがりで、ただ消費して

音楽のことを、埋まらない何かを満たすためのツールとしか思ってなかったかもしない。

 

音楽に申し訳なかったです。

ギターにも音楽にも、もっと寄り添えばよかった。

もっと好きだって言えばよかった。

 

 

 

父のこと、その一

鋼の錬金術師久しぶりに読んでます。

前に読んだときは思わなかったのに、エドめちゃくちゃかっこいい。

『好き』に直向きな人もかっこいいけど、『使命』に直向きな人もかっこいいですね。

どんな形であれ自分の世界がはっきり存在している人は素敵です。

 

ハガレンは登場人物がみんないいキャラすぎて、好きなキャラを選べないです。

話も綺麗で完璧すぎる。

 

 

この世の物質はすべて循環をしていて

世の摂理は等価交換で

だからこそ、憎しみからは憎しみしか産まない

そういうことをやっているんだなというのが強く刺さりました。

憎しみは、本当に連鎖するんですよね。

憎しみは憎しみしか産まないし復讐は復讐を呼ぶ。

だから、耐えていかなければいけないのだなと思います。

誰かがその連鎖を断ち切らなきゃいけない。

憎しみに対して等価な憎しみは返したくない。

 

 

父のことを、殺してわたしも死のう、と思っていた頃のことを思い出しました。

あの頃は本気でそう思ってた、そしてそれはつい最近の話だった。

どうにもならないから終わらせるしかないと思っていました。

こいつを殺すしかないと思っていた、実の親に対して。

 

いまわたしはPTSDの治療を開始しようとしています。

その治療でわたしが目指しているのは

『父とちゃんと親子になりたい』と言うことです。

父のことはこの先も許せるかはわからない。ずっと嫌いかもしれないし、そもそもちゃんとした父と娘の姿ってどんな形なのかわからない。

 

でも許せなくても、向き合えるようになりたいです。

父は、確かにわたしにとても酷いことをしたけれど、でも100%悪人ではないと思っています。

父もかなり苦しい人生を送ってきた人だったから、彼なりに耐えてきたものがあったんだと思う。

たぶんそれの皺寄せを受けたのがわたしだったんでしょうね。

だったら皺寄せを受けるだけじゃなくて、理解する役割も担いたいです。

結局、この世界に父親は彼一人しかいないから。

彼のおかげで生まれたわたしがいて、彼に作られたわたしの要素があるのも事実です。

 

 

わたしは憎しみを耐えて前に進みたい。

そして、できれば父のこともわかってあげたい。

 

 

 

 

部屋の明かりを付けないと眠れない話

夜中に目が覚めてしまいました。

しんどいですね。

 

 

昔から、部屋の電気をつけないと眠れません。

一人で暗い部屋で眠れた経験は、人生で一度もないです。

昔の実家は狭い貸家で、部屋の数も少なかったので

家族が集まって同じ部屋で寝ていました。

一人暮らしをするようになって、初めて知ったんです。

 

『あ、暗い部屋だと怖くて眠れない』と。

 

それで眠るときはいつも、隣の部屋の明かりをつけてそれを寝室に取り込んだり

寝室のデスクライトを付けながら寝たり

ひどいときは寝室の電気もつけて寝ています。

人に言うとびっくりされます。こうこうと電気が灯った中で眠っているので。

暗い部屋でも眠れるようになるように、練習したこともあるんです。

タイマー式のシーリングライトを使って、入眠後に消えるように調整したりして。

でも電気が消えてしばらくしてから必ず目が覚めました。そして怖くてパニックになりながら電気をつけてました。

 

なんでそんなに暗いのが怖いの?と聞かれたら、人には

「おばけが怖いから」

と答えています。みんな笑ってくれます。

でも本当に怖いのはおばけじゃないんです。

 

わたしは 性的暴行が怖くて 暗い部屋で眠れないんです。

 

今までに経験した2度のレイプ未遂、それと性虐待。

全部、暗い環境で起こりました。

夜中に誰かが部屋に入ってきて、わたしをレイプするような気がして、それが怖くて眠れないのです。

部屋の鍵はもちろん閉めてる。でも誰かがガチャガチャドンドンやってきて、部屋に侵入されて、犯されるんじゃないか?殺されるんじゃないか?それがとても怖くて、明るくないと眠れないです。

そういう妄想が頭から離れないんです。

 

正直、電気をつけた明るい部屋で眠る生活は疲れます。

毎日本当に疲れます。

たぶん寝ても身体が休息できてないです。

なるべく限界まで暗くして眠ったときのがそりゃ朝の目覚めもスッキリしています。

寝室の電気もつけて眠った日は、起きてもぐったり感が残ります。

隣に人がいても、それでベッドが狭くても、真っ暗な部屋で寝た日のほうが心身ともに休まります。

 

夜中の暗い部屋が怖くて、身体も心もずっと疲れている。

ずっと何かを警戒して、気を張って、その緊張感の中で眠っている。

 

 

性暴力が、魂の殺人と言われるのはこういうことだと思います。

本当に引きずるんです。ずーっとずーっとずーーーーっと怖い気持ちが四六時中あって、身も心も警戒し続けてる。毎日すごく疲れる。

それでも普通のフリをして生活しないといけない。怖いのはおばけだって誤魔化して疲れ続けなきゃいけない。

なんでこんな目に遭わないといけないんですか?

 

わたしはおばけが怖いんじゃないんです。

性暴力が、怖くて眠れないんです。

 

 

 

 

 

金閣寺を読んで

三島由紀夫金閣寺』を読みました。

 

言い回しなどが難しく読みづらい部分があったのは事実ですが

それでも尚面白い作品でした。

 

 

 

とても有名な作品なので、内容を知っている人も多いと思います。

なのであらすじは特に載せません。

 

わたしは、主人公の溝口が抱く

絶対的な孤独感と美への執着

その二つに強く共感を抱きながら読み進めました。

 

わたしには吃音はありません。

だから、言葉の出てこない苦しさ

遅れてやってくる感情への虚しさは完全に理解できないと思います。

 

しかし、これを自分の斜視と重ねて読みました。

 

 

わたしは先天性の内斜視で、手術を二度受けています。

結果、片目の視線を合わせることはできるようになったのですが

もう片方の目に外斜視の症状が残りました。

 

小さい頃はよく怒られていました。

「こっちを見なさい」

「ちゃんと人と目を合わせなさい」と。

わたしは合わせているのです。

わたしの視界には、見たいものが、合わせたい視線が、ちゃんと映っています。

でもそれが相手には伝わらない。

伝わらないから誤解を生む。

そういう人生を歩んできました。

 

大人になってから、斜視のことを怒られたり、馬鹿にされたりすることは無くなりましたが

やはり時々「?」という表情をされることはあります。

後ろを振り向かれることも多いです。

「どこ見てるの?」と聞かれることも。

わたしの視線に、疑問を抱くからでしょう。

 

わたしの視線は、相手と交わらない。

伝えたいことが伝わらない。

 

それは外界から隔てられたような、大きな孤独感です。

 

 

わたしはこの点で、溝口に対してとても大きな共感を持ちました。

心の中は、伝えなければ伝わりません。

そしてそれには、アウトプットのためのツールが必要なのです。

わたしたちには、そのツールを正しく操る能力が欠けているのです。

 

気持ちが伝わらないことは

とても悲しい、寂しい瞬間の連続です。

世界で誰も自分を理解してくれないような気持ちになります。

 

そしてその孤独感に依存するのです。

理解されないこと、それがそのままアイデンティティーになるから。

 

理解されたいのに、理解されたくない。

そのジレンマから身動きできずに

破滅の道を歩んでいきます。

 

 

自分のそういった醜さは

同時に『美』への執着を生みます。

この美とは、外観の美しさだけではありません。

自分の理想だったり、こだわりだったり、手に入らないモノだったり

それらの象徴として『美』があるのです。

 

わたしだったら

斜視ではない整った視線の美しさ

それだけではなく、まっすぐに伝わる視線の意志

そういったものです。

 

 

わたしにはそれらは一生手に入らない。

知らない、隔たれた世界の話です。

でも、わたし以外の人には確かに存在する世界の話です。

わたしには一生到達できない美しい世界の。

 

 

手に入らない美しさは、いずれ憎しみに変わります。

きっとわたしも溝口の立場なら金閣を燃やしたでしょう。

燃やさねばならなかったからです。

あの憎い金額を、美を、不動の世界を

わたしには手に入らないそれらの象徴を

燃やさねばならない。

 

 

溝口は金閣に火を付けました。

そして、生きようと思った。

 

はじめて、自分を縛り付ける象徴から

不動の世界、その美しさから

逃れることができたのでしょう。

 

やっと自分自身が、この世界に生を受けた。

そう思えたんじゃないのかなと思います。

 

 

 

 

 

『美』への執着は、人を孤独にします。

そしてその孤独感は、人を破滅に向かわせます。

 

それで破滅に向かって突き進んだ人間は、果たして悪なのでしょうか?

悪いのは、人間が世界か、果たしてどっちなのでしょうか?

 

 

毎年、名前負けについて考える日

28歳の誕生日を迎えました。

27歳も生き延びてしまったけど、27歳も生き延びることができた。

少しずつ、それを喜べるようになりたいです。

 

 

 

名前は、それだけでとても大切なものです。

自身と、それ以外のすべてを区別するための記号。

わたしがわたしとしてこの世界に立っている、という証だからです。

 

それと同時に、名前とは『親からもらう最初の呪い』であると思っています。

 

 

 

わたしの名前は、母が名付けてくれました。

母は、自分の元に女の子が生まれたら絶対にこの名を付ける、と決めていたそうです。

その名前には『優しくて、平和を愛する子になるように』という願いが込められていました。

 

平和を愛する、それについてはまだいいのです。

わたしのことを知ってる人は皆、わたしのことを平和主義者だと思っていることでしょう。

名の通りに争いごとは嫌いなタチなのです。

 

問題は、優しさのほうでした。

 

わたしは28歳になった今でも、人の優しさとは一体何のことを指すのかがよくわかっていないのです。

親切な振る舞いや、思いやりを持った行動、そういったものはわかります。

肌で感じることができます。

でも、親切なことと 優しいこと それは同じであるのか?

わたしはそうではないと思うのです。

 

 

優しさとは

行動に見えなくても存在することもあるし

行動に見えていても存在しないこともある

表面の部分だけでは語れないものだと思います。

人の、きっと内側に存在するのだろうと思っています。

 

 

そしてわたしは、そういう内側を持っているだろうか?

みんなと同じように、優しさを隠し持っているのだろうか?

自分にはそんなものは存在しないような気がするのです。

 

わたしは優しさから最も遠い場所に立っていて

どれだけ近づこうともがいても距離が縮まらないように感じるのです。

 

 

人から優しさをもらったとき

ふとしたときに誰かの優しさに触れたとき

わたしも同じだけそれを返せたらいいのに

そう願っても、返しかたがわからないのです。

みんなはそれをどこで身につけたんだろう。

いつ学んだんだろう。

 

優しさの泉のようなものを、なぜ他の人は当たり前に皆持っているのだろう?

 

 

 

何ひとつわからないのに、優しい人になってほしいと願われたわたし。

これ以上の名前負けなんてあるんだろうか?

この問題に打ちのめされるときはいつも涙が溢れる。

こんなに素晴らしい名前を、どうしてわたしなんかがもらってしまったんだろう。

優しくない自分を、名前はいつも責め立ててくる。

 

 

 

 

ただ、去年いわさきちひろ美術館に行って

彼女の言葉に触れてから、少しずつ考え方に変化が起きました。

 

 

確かに今のわたしはまだ優しくない。

優しさの正体を知らない。

 

でも、この名をもらったから

名前に負けているから

それを日々深く悲しんでいるから

わたしは『優しさ』に対して真剣に向き合うようになったんじゃないだろうか。

その正体を掴もうと、もがいているんじゃないだろうか。

 

少しずつそういう風に思えるようになりました。

 

 

人は皆、はじめから完璧なわけではないのでしょう。

尊敬するいわさきちひろだって、日々もがいて苦労して、時には冷や汗をかいたりして

そうやって『いわさきちひろ』になったのでしょう。

 

だったらわたしも、死が迎えに来る最期の時まで

優しさの正体を掴むべく、もがき苦しめばいいのではないだろうか。

 

 

 

それこそまさしく、呪いでしょう。

けどきっとこの呪いが、わたしを前に突き動かす力になるのでしょう。

それが、生きる意味なのかもしれないなと考えるようになりました。

 

 

 

母から貰った呪いを抱いて、わたしは28歳も前に進もうと思います。

いつか優しさの正体を知るときまで。