自殺日記

双極性障害 自殺するまで書きます

今日やっと、精神科に行けた

精神科に行きました。

やっと行くことができました。

 

性虐待が終わってから20年弱

診療を視野に入れるようになってから5年ほどかかりました。

 

 

 

 

最後の日から10年ほど

誰にも言えずにずっと黙ってて

自分が悪かったんだと思うことにしてなんとかやってきて

 

正直自分がつらいのかどうかもわからなくなってしまっていました。

 

 

ただ、ずっと疲れている。

そういう感覚でした。

死にたいというよりはいなくなりたい

生きていることが許されていないのだから罰してほしい

そう思いながらここまで来ました。

 

○歳までには死のう、あと○年 生きたら死のう

それをいったい何回やったのかよくわかりません。

 

ただ言えるのは、今日まで生きてこれた、ではなく

今日まで生きてしまった、という気持ちでずっと過ごしてきました。

 

 

 

 

精神科はすごく独特な雰囲気でした。

今この待合室にいる人々と街ですれ違って

わたしは精神科患者だと気付くことがあるだろうか?

そう思うような方ばかりが診療を受けていました。

 

きっとわたしもその一人でした。

 

 

心理カウンセラーの方も

先生も

びっくりするほど優しくて驚きました。

 

わたしは自分の症状や心の状態が

どれほどのものなのかがよくわからなくて

「『こんなことで受診するな』と怒られるんじゃないか」

「『お前は病気じゃなくて甘えてるだけだ』と言われるんじゃないか」

そう考えてしまって怯えていました。

 

この不安がわたしを5年も受診から遠ざけていた原因でした。

 

 

「来てくれてよかった」と、先生に言われたとき

ようやく自分の抱えているものは

『こんなもの』じゃなかったんだと思うことができました。

 

 

 

自分のつらい気持ちに想像以上に蓋をしていたこと

適切な支援を受けることができること

そうじゃないだろうと思っていたものがすべてフラッシュバックの症状だったこと

治療にはものすごく時間がかかること

 

そしてそれは頑張らなくてもいいこと

ゆっくり気長にやればいいということ

 

それを知れたことは、受診した上での大きな収穫でした。

 

フラッシュバックが起きていたことに自覚がなかったのでなにより衝撃でした。

「なんだ、わたし、助けてって言ってよかったんだ。」みたいな。

 

 

 

病名を聞いて少し希望が持てました。

抱えているコレは病気として扱われて

すなわちいつか治るのだ、と。

 

わたしは、あまりに長い間この状態をほったらかしにして過ごしてきたので

自分は心に異常をきたしているのか

それともただの性格や習慣なのか

それすらわからなくなっていました。

 

『この状態が自分の性格である。

だから一生このままだ。』

もしそうだったら、ということが何より怖かったんだと思います。

今日やっと気がつけました。

 

 

 

 

治療はしばらく投薬で精神的な体力の回復をはかって

それから心理療法に進むみたいです。

 

長い戦いになるし、精神的に負担の大きい治療になるとも。

 

 

でも覚悟していたところはあるし、いつか治るなら全然構わない。

いままでだって、ずっとつらかったので。

 

たとえ10年治療にかかったとしても

20年弱抱えてきたものが10年で無くなるならお買い得です。

 

 

そしたらきっと40歳のわたしは

ようやく『性虐待に囚われない人生』を

初めて歩めるようになるのですから。

 

その日が来るのが待ち遠しいです。

自分はずっと、そんな世界は知らないまま死ぬんだと思っていたから。

 

4/17 間違えました

さっき間違えて

歌詞をタイピングしているほうのブログに投稿しようと思ったテキストを載せてしまいました。

タイピング、続けていたら楽しくなってきて

最近は結構なペースで更新しています。

 

間違えて載せたのは、東京カランコロンさんの『指でキスしよう』という曲です。

優しくてとても好きな曲です。

まず、「指でキスしよう」という曲名がおしゃれすぎます。

 

 

サビの「視線の先で揺れる想いはまだ届かない」という歌詞もすごく好きなのですが

わたしは特にBメロの歌詞が好きです。

一番も二番も好き。

 

好きな『誰か』の情景が浮かんでないと書けない歌詞だと思います。

 

歌詞はこんな感じです↓

『君と特別になりたい

長いまつ毛にかかる髪を

こそばゆくて何度も触る

仕草一つで胸が熱くなるよ』

『君と一つになりたい

華奢な指で火をつけては

遠く見つめて煙を吐く

仕草一つで胸が熱くなるよ』

 

君と特別になりたい、って真っ直ぐで好きです。

特別になる、って

ただ付き合いたいとか

自分の物になって欲しいとか

そういう独りよがり感がなくて。

 

君『の』特別になりたい、じゃなくて

君『と』特別になりたい、なのも好きです。

 

”あなたとわたし”の世界で愛を見つめられる人は美しいと思う。

 

 

 

二番の歌詞が何より好きです。

個人的な好みなんですが、わたしはタバコの描写がある歌詞がすごく好きです。

 

タバコって、わたしの中では

『分かり合えないものの象徴』

なんですよね。

 

吸う人と吸わない人の間には

絶対に共有し得ない感情や感覚があると思う。

 

 

恋愛の醍醐味は

分かり合えないことを分かった気になることにあると思います。

正直、どれだけ近付いても自分と相手は他人です。

これだけはどうやっても変えることはできない。

だから、100%分かり合えることは絶対にない。

 

友達だったらそれでもいいと思うんです。

差を楽しむのも人間関係のおもしろさだから。

 

でも恋愛になると、その先が欲しくなる。

贅沢になる。

相手と100%で分かり合いたくなる。

 

本当は他人だからそんなことは絶対に叶いっこないんです。

それをわたしたちは

ぶつかって、擦り合わせて、譲り合って

なんとか分かり合おうとする。

分かり合えたような気になる。

恋愛の一番のおもしろさはこの作業にあると思います。

 

だからわたしは

誰かとの差を愛しみたい。

二人で分かり合ったような気になりたい。

 

恋の為には、分かり合えない差が必要なんです。

その一番の象徴を、この世界ではタバコが担っています。

 

 

 

4/13 日記、虫が出て怖かった

タイトル通り

書きたいことがあったのですが、部屋に虫が出た衝撃が凄すぎてすべて吹き飛びました

 

 

小さい虫なんですけどね……

恐ろしすぎて何の虫なのかはよく見なかったのでわからないです

ただ黒くてヒョロヒョロした触覚があったから……まさかね……?

 

ティッシュで包んじゃったのでトイレに流すこともできず

とりあえずポリ袋に包んで縛って捨てました

トイレットペーパーで戦うべきだった……

 

 

 

 

人ってどうしてこんなに"あの虫"に対して恐怖心があるんでしょうね

太古から続く生命力が怖いのか

形状が生理的に気持ち悪いからなのか

 

生理的に気持ち悪い、というのもどこから湧く感情なんだろう

不思議でしょうがない

 

自分たちとは姿形、仕組みさえも違う

その異質さが怖いのですかね

 

 

異質さ、というのは生き物の脅威だと思います

自分とは違うものというのは、次の一手がどう出るかわからないから

そういう未知の存在は、自分の存在を脅かすものになり得ます

 

だから人間は異質なものを毛嫌いして

排除しようとしたり

差別してコントロールしようとするんだと思う

 

マイノリティが虐げられるのはこういった仕組みです

マイノリティは、存在そのものが脅威になり得るから

 

 

 

この溝を埋めるために必要なのが知識と教育なんでしょうね

知らないものを知ろうとすること

理解しようと試みること

それは未知の脅威を取り除くための理想的な行動だと思う

 

知らないから怖い、怖いから嫌い

じゃなくて

知らないから知ろうとする、知ろうとするから怖くない

 

それは未知の恐怖と戦うため、人間の持つ素晴らしい武器であると思う

 

 

 

どんなことにも言えますよね

 

自分自身

わからないから怖い、関わりたくない

じゃなくて

わからないものはわかろうと努力しなければいけませんね

 

 

 

 

でもやっぱり虫は怖いなぁ

わかりたくてもやっぱり怖い

少しは歩み寄らないとな………

 

 

生まれ変わり、という概念の苦しみ

輪廻転生、生まれ変わり

皆さんは信じますか

 

 

 

自分が過去一で病み散らかしていたとき

(小学校高学年くらいですかね)

生まれ変わるのがつらすぎて自殺するのが怖いと思ってました

 

自分は生命体であるのがしんどいのに

死んでもまた次があることが受け入れられなかった

もうこの世界に存在していたくないのに

やり直し?今よりもっといい人生?

そんなのどうだっていい

もう二度とこの世に存在したくないと思ってました

 

輪廻転生の考え方には六道という概念がありますね

人間界は上から2番目

 

今だってもう十分苦しいのに、この下にあと4つも世界が存在するらしい

5/6はしんどい来世が確定してるんですよ

 

死してなお終わらない地獄か?

 

今世で良い行いをして天上界を目指すなんて馬鹿げてます

だって生きていたくないのだから

どうして嫌なことのために頑張れるのでしょうか

 

いまの人間界が苦しいのもありますが

わたしはわたしという存在が生きていることもつらいのです

 

 

 

こういったことが本当に苦しくて

ある時期はよく泣いていました

 

頑張って生きても頑張って死んでもどのみち報われることはない

どうして自分は生まれてきてしまったんだろう

望んでこの世に生を受けたわけではないのに

そうだったとしたらその"始まり"の自分をボコボコにしに行きます

 

しょうがないから諦めて、「来世は水になりたい。水になってこの世界をずっと循環し続けたい。」と言っていました

それが一番マシだと思ったからです

 

水になって永遠に循環し続ければ

もう水以外のものになることはないから

終わりも次の始まりもやってこないから

それしか救われる道はないと思ってました

 

 

今考えるとかなり怖い小学生ですが

この頃から根本的なものは何ひとつ変わってないですね

 

ずっと、自分が自分であることが苦しい

 

 

 

 

この、輪廻転生の世界から逃れるためには

輪廻転生の起こる原因を見極める必要があるらしく

それが仏教の教えを守ることに繋がるみたいです

 

そう言う教えが説かれて

人々が救いを求めて教えを守ろうとしたなら

きっと昔の人たちも、生きているのは苦しかったんじゃないかと思う

こんなに苦しい気持ちは誰だってもう二度と味わいたくないですよね

 

 

 

生まれ変わり

ほんとはとても残酷な概念だと思います

永遠に続く地獄の苦しみ

 

本当だったらJ-Popで歌われるような良いものではないはずです

 

 

 

生まれ変わりに救いを求めるのは

いつだって他者の目線です

 

生きていく人は生まれ変わりに救いを求めない

輪廻転生は終わらない地獄だから

 

児童性虐待の被害者である、わたしが思う『性的搾取』について

性的搾取に関して話すとき
最大の壁になるのは『搾取をされたことがあるか否かで見える世界が違うこと』であると思います

性的搾取をされるにあたり覚える不快感、嫌悪感は
正しく言葉で言い表すことは難しいものです

 

わたしは実父による児童性虐待の被害者です
物心ついた頃から、『搾取された側』で生きてきました


そんなわたしの個人的な意見ですが

この不快感、嫌悪感は本能から来ているもので
それは自分の命を守る防衛本能のようなもの
自分のアイデンティティを揺るがされないための
砦のようなものだと思ってます

 

「性的なことは恥ずかしいから」「気持ち悪いから」「好きな人とだけしたいから」

そういう話ではないと思うんですね

 


自分が『人間である』という意識
意思を持つ存在であるという意識
人と人の間で、命を脅かされることなく存在する権利
自分という人間の、世界での立ち方
いまここに生きていて良いという認識

これを守る為の嫌悪感だと思います


わたしもこの感覚の詳細を言葉で表そうと何度も試みたことはあるのですが
未だしっくり来る言葉には出会えません

 

 


性的搾取とそれによるトラウマは
自分のアイデンティティをぐちゃぐちゃにされたような
存在自体を脅かされたような気持ちがします

生命体としての命の危機というより(それもあるでしょうが)
存在という、精神的な命の危機
自分が自分である意識を脅かされる危機感

そういった感情に近いです

 


精神や意識は目に見えないから
これが脅かされる恐怖は、なかなか表現が難しいです

身体の機能の停止はイメージがしやすいですけど
心の機能の停止は少し掴みにくいのかなと


だから、実際に搾取されたことのある側にだけしか
見えない世界があると思う
想像よりずっと冷たいんじゃないかなと思います
(わたしは逆に されたことのない側の世界 は見えないのでわかりませんが)

 

搾取する悦びを目の前にした人間にはなおさら届かないものなんじゃないかと思う

 


性は快楽と直結していますからね
それはホルモンや脳内物質や、そういったものに操られた感情なので
なかなか個人の意志でコントロールするというのは難しい話だと思います

生命体はより望ましい発展のために快楽を身に付けたのだから
人間も快楽に流されるのは当たり前なのです

 


でも流される前に少しでいいから
知らない世界もあるんだなというのを
立ち止まって考える時間が人々にあったら
『みんな』が生きやすい世界にならないかなと
わたしは思っています

 

ヲノデラ

これと云って大切なモノなんて無いから 孤独だって事にすら気付けないのかな


tacicaさんの黄色いカラスという曲の一節です

 

人と人の距離は相対的なものであるとわたしは思います
好きな人がいるから嫌いな人がいる
特別がいるからその他大勢という意識が生まれる

『大好き』は即ち、人間関係の物差しだと思う

特定の誰かに向ける大きな感情が
自分と、その他たくさんの距離を
つまり人の中における、自分の立ち位置を決めるんだと思います

 


特別がなかったらどうなるんだろう
誰かと誰かの間でずっと迷子のままなのかな


わたしは、なるべく人を嫌いたくないと思っています
わたしを取り囲むすべての人を
どんな人であっても嫌いたくない
そうやって過ごしてきました

どんな人も必ず素敵な顔を持っていますからね
その人のいい面だけを見て付き合っていきたい


そうやって来て、最近気がついたのは
自分には『特別』がないということ

嫌いな人がいないから、特別好きな人もいないのかもしれない

そういう自分は
好きな人がたくさんいるような気がして
実はずっと独りなのかな
迷子のままフラフラしているような
そういうことにようやく
気がつきました

 

でも今更どうにもならない
みんなのことが好きなことは事実で
どんな人にも愛したい顔がある
それは自分の中で変わらないことなんですよね

だって本当にどんな人も素敵だから
わたしには素敵に見えるから

 

すべての人を嫌わない
すべての人を好きでいること

それって間違っていたのかしら
すべてが好きなことは悪いことなのか

わたしはずっと迷子のままなのかな

 

 

涙が止まらなくなってきたので
今日はもうおしまい、おやすみなさい

 


ヲノデラ

自分に優しくできなければ他人にも優しくできないんじゃないかしら

慰めることに関してはいつも頭を悩ませる
気持ちを相手にどう言えばいいのかわからない
思っていることはたくさんあるけれど表現力がない、というより、適切な言葉がわからない

 

負担やプレッシャーをかけたくないけど
相手の状況が良くなるように応援してるのは事実だから、それは伝えたい
でも「こう言ったらこう思わせてしまうかも……」が多すぎて、かける言葉が見つからず
結局当たり障りのないボヤボヤ水で薄めたような言葉しか出てこなくなる

そもそもこの『伝えたい』ってこと自体がエゴイズムなのかな
慰めの気持ちを伝えて、いい人でありたいのが本当のところなのかもしれない


また自分が"努力信者"であることも悪いのかなと思う
何か自分を責めてしまうことや、悩むことがあるとき
とにかくいまの状況を改善して前に進むのが最適であると認識している節がある
いまの苦しい現実を「もう十分頑張ってるね、無理せずね」と思う思考回路が構築されていないような気がする
これを言ってくれる人の言葉にハッとさせられたり
救われたような気持ちになることが何度あったことか……

真似してそう言葉をかけてみるけど、自分の本心から出たものではないからなんだか薄っぺらい
相手の心に届く前に嘘を見破られてしまいそうだ


……なんて感情がまた保身的で
周りの人がくれるものと同じくらいの、純真な優しさを返したいのに
みんなはそれをどこで身につけてきたんだろう