自殺日記

双極性障害 自殺するまで書きます

児童性虐待の被害者である、わたしが思う『性的搾取』について

性的搾取に関して話すとき
最大の壁になるのは『搾取をされたことがあるか否かで見える世界が違うこと』であると思います

性的搾取をされるにあたり覚える不快感、嫌悪感は
正しく言葉で言い表すことは難しいものです

 

わたしは実父による児童性虐待の被害者です
物心ついた頃から、『搾取された側』で生きてきました


そんなわたしの個人的な意見ですが

この不快感、嫌悪感は本能から来ているもので
それは自分の命を守る防衛本能のようなもの
自分のアイデンティティを揺るがされないための
砦のようなものだと思ってます

 

「性的なことは恥ずかしいから」「気持ち悪いから」「好きな人とだけしたいから」

そういう話ではないと思うんですね

 


自分が『人間である』という意識
意思を持つ存在であるという意識
人と人の間で、命を脅かされることなく存在する権利
自分という人間の、世界での立ち方
いまここに生きていて良いという認識

これを守る為の嫌悪感だと思います


わたしもこの感覚の詳細を言葉で表そうと何度も試みたことはあるのですが
未だしっくり来る言葉には出会えません

 

 


性的搾取とそれによるトラウマは
自分のアイデンティティをぐちゃぐちゃにされたような
存在自体を脅かされたような気持ちがします

生命体としての命の危機というより(それもあるでしょうが)
存在という、精神的な命の危機
自分が自分である意識を脅かされる危機感

そういった感情に近いです

 


精神や意識は目に見えないから
これが脅かされる恐怖は、なかなか表現が難しいです

身体の機能の停止はイメージがしやすいですけど
心の機能の停止は少し掴みにくいのかなと


だから、実際に搾取されたことのある側にだけしか
見えない世界があると思う
想像よりずっと冷たいんじゃないかなと思います
(わたしは逆に されたことのない側の世界 は見えないのでわかりませんが)

 

搾取する悦びを目の前にした人間にはなおさら届かないものなんじゃないかと思う

 


性は快楽と直結していますからね
それはホルモンや脳内物質や、そういったものに操られた感情なので
なかなか個人の意志でコントロールするというのは難しい話だと思います

生命体はより望ましい発展のために快楽を身に付けたのだから
人間も快楽に流されるのは当たり前なのです

 


でも流される前に少しでいいから
知らない世界もあるんだなというのを
立ち止まって考える時間が人々にあったら
『みんな』が生きやすい世界にならないかなと
わたしは思っています

 

ヲノデラ